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山ちゃん5963

山ちゃん5963

28.卒業黒四

二十八、卒業式と黒四

昭和四十六年三月十五日、山陽本線須磨駅から魚住まで下駄履きで行った。通学最後の日であった。明石高専卒業生は機械工学科三十八人、男学生ばかりだった。土木に二人、建築に一人女子学生が卒業式に出席した。電気工学科も男子ばかりだったね。ワシは一人学生服に素足に下駄履きで卒業式に望んだ。担任の愛原教授は『山口よ、下駄はまずいぞや。』と言った。ワシは下駄を入り口に脱ぎ捨て裸足で卒業式に望んだ。鷲尾校長が『本日は素足(はだし)の卒業生もおりますが、まずはめでたい……』と祝辞を述べた。それはワシの事だった。ここにワシは十九歳にして卒業したのだ。万歳。万歳。ワシは本当に卒業できてうれしかった。卒業式に出席した父が一番喜んでくれたのう。その次は母かいのう。しかしかわいそうに、秀春は落第したんやど。さて、その日ワシは須磨浦の三畳の間で荷物をまとめ、丹波に発送した。その次には、須磨浦荘賃貸契約を解約した。

そしてワシは『黒部渓谷に大いなる建設を誓う』の旅に出た、嘉孝兄からもらった黒のシャツの上に黒の背広を着ていた。なぜかやくざみたな格好やったなあ。大阪から北陸本線で富山へそして富山鉄道にて宇奈月温泉に宿泊した。たしか富山の鱒寿司を食べたよなあ。うまかった。ごちそうさまでした。その日の旅館は駅をおりて歩いて三分のところ、宇奈月温泉『山甚』部屋は孔雀の間だった。部屋の名前は良いがたいした部屋ではなかった。この温泉で、学生時代の垢を全て流した。そして大いなる建設を誓った。これはSHIMZにはいってばりばりやるよという意気込みを確認したという事になるなあ。一泊四千百三十円だった。二十歳になっとらんのに、二百五十円のビールも一本飲んどる。さらに黒四ダムに立ったワシは多いに将来かならずくるであろう夢を膨らませたのだった。


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